
「“こうしなければならない”は、思ってしまっているだけで本当はない」
ヴァイオリンを始めたのは5歳の頃。それからずっとヴァイオリンを続けてきました。中学生の頃にギターを手にしても。22歳の頃にバンド「グーミ」を結成しても。ヴァイオリンをやめることはありませんでした。そこには音楽家になるという計り知れないほどの想いがあったことは間違いありません。そして、それは幼少期からの長い経験と技術が支えてきました。でも大人になるにつれて、さらに音楽家になることから「生きかたすべてが表現」と呼べる人生を歩みたいと思うようになっていました。それは「大きくなったら何になりたい?」というよくある質問に対する回答として用意されるのが職業としての音楽家とすると、そのもっと先にある自分がどうありたいかという、より深い回答でもあるのかもしれません。それは学生時代も含めた子どもの頃では決して描けなかったものだと思います。それは小畑さんのこんな言葉を
思い出させてくれます。
「ちっちゃい子が、パン屋さんとか、ケーキ屋さんとか、学校の先生とかになりたいのって、本当に目の前にいる人って、想像がしやすいからだと思う。想像つかないものってやっぱり自分がなる想像も付きづらいじゃないですか」
音楽家になりたいけれど、クラシック音楽を演奏するヴァイオリニストにはなかなか興味が持てませんでした。だからこそ小畑さんは小畑さん自身がきり拓いた、その頃には想像もしなかったスタイルのヴァイオリニストになりました。そんな人生を歩んできたからこそ、宮城県の遠刈田(とおがった)にアーティスト・イン・レジデンスに呼ばれたときには、学校からも声がかかりました。
「レジデンスで呼んでもらったんだけど、音楽の人が来るっていう話を聞いた学校の音楽の先生が興味を持ってくださって。で、今の音楽の授業には創作っていうのがあるんだけど、学校の先生だと創作ってそんなにやってないから、実際に現場とかを経験してる人が来るんだったら、その人にやってもらえないかという経緯でお話をいただいたんです」
サテライトキッチンを営み、音楽家としても生計を立て、そして次はまさかの先生でした。もちろん、それは音楽家としていただいた話ではあるけれど。でも実は、すでに音楽を何人かに教えていたことともちょうどつながった話でした。
「しょう害を持ってる中学生ぐらいの子がヴァイオリンを始めたいって言ってくれて、でも音楽教室とかだと基礎練をめちゃくちゃやらなきゃいけなかったり、アカデミックなところが多くて。ぼくが教えなかったら、ヴァイオリンを始められないのだとしたら、すごいもったいないことだと思って」

「音大出身でもないし、教えるための勉強はしてないから迷いましたが、教えるってことを考えなきゃいけない立場とか、年齢に入ってるんだなってことはちょっと考えてたんですよね。ちょうどそのタイミングで、中学校の授業の話をいただいたから、やらせていただきました」
小畑さんの話を聞いていると、あたまで考えていることと、からだの動きにタイムラグなく、動いている気がします。それはもちろん、最初からできたことではないのかもしれないけれど、それでも日々、あたまとからだを働かせてきたからこそ、身についた動きなのだと思います。そう思うと、動かすーー何かをやるーーというのは、スポーツに限らず、日々の訓練が必要なのかもしれません。訓練といえば、小畑さんのお話にこんなのもありました。
「自分で音を録れるようにならないといけないって思ってたときに、毎月、新月と満月の日に新曲をアップするっていうのをやってたんですよ。それはもう完全に自分の訓練みたいな感じでやってて。聴いてる人がいようがいまいがいいっていう感じだったんだけどーー実際、100とか再生がいけば聴いてくれたなって思うくらいで、少ないときとかは10とかだからーーそれでもおそらく毎回聴いてくれる人とかがちょっといて。その中にテレビの音効さんがいたんです」
そうしてテレビで小畑さんの音楽がそのまま使用されることになりました。本当に何があるかわかりません。でも見ている人は見ている、なんて嘘のような話にも思うけれど、でもだからこそ、見ている人に見てもらうためにも、どんなこともひとつひとつを大事にしなければいけないとも言えるかもしれません。と、ちょっと脱線してしまいましたが、そんな遠刈田(とおがった)でのアーティスト・イン・レジデンスを経て、小畑さんは「まち」への視線が変わりました。
「遠刈田では、街をアーカイヴするっていうテーマをもらってたんですよ。それで街のことをリサーチしたりとか、サンプリングして何が残せるかなみたいなことを考えたりとか、あと街に何か影響を与えなきゃいけないわけじゃないけど、自分がいることで、何ができるかってやっぱり考えましたね」

「でも今までって、自分がやりたい音楽を考えて来ただけで、それが人にどうはたらくかみたいなのって、ついて来ればいいやぐらいの感じで、あまり意識してなかったなと、そういうのを考えたりした状態で、自分のまちに帰って来たんですよね」
京島に帰ってくると、ちょうど向島EXPOが開催される時期でした。外部から来るアーティストもいますが、内部ーー住んでいる人や、お店を営んでいる人も参加しており、開催前1ヶ月を切って急遽、小畑さんにも声がかかりました。ここにも小畑さんのあたまと動きはタイムラグなく発揮されます。
「じゃあ時報鳴らそうかなってすぐ返してました。ただ振り返るとむちゃくちゃ理由があって。遠刈田から戻ってきて、この街でも何かできるんじゃないかって思ってたこととか、木造密集の中で音楽イベントを開催するのは難しいと諦めてたけど、実は1日5分、もともと鳴るであろう時報っていうところに、ヴァイオリンっていう割とこう苦情の少ないというか、喜ばれるであろう楽器であったらできるんじゃないかとか」
「特に大きかったのは、遠刈田で聞いていた朝6時の神社の太鼓で。神主さんが、毎朝の神事のとき鳴らしていたんだけど、その太鼓の音って、起きてる人は気づくけど、起きてない人は気づかない。でも必ず毎朝それが鳴ってることは、何かしら街に影響っていうか、街のリズムとしてあるはずだと思って。だからここで、二階からヴァイオリンを弾くっていうのも5分だしライブでもないし、たとえ誰が聞かなくてもよくって。でももしかしたらまちの人は聴くかもしれない、聴かない日もあるかもしれないけど、それが1ヶ月間鳴らされることで、何か意味があるかもしれないと思って」
そうして1ヶ月間やり切ると。最初はまばらだった人も、終わる頃にはサテライトキッチンの前には、その通りを埋め尽くすほどの人が見にきていました。そして何より、その5分間の歌を、近所の子どもたちがくちずさめるほどになっていたのだとか。
「このまちだけヴァイオリニストが増えたりしたら面白いですよね」
ヴァイオリニストの演奏を近所で、間近で、それも1ヶ月間触れられるというのは、それが毎日じゃないとしても、貴重な体験だったと思います。それは遠刈田で授業を受けた中学生もきっと同じだったと思います。なかなか想像できない大人になることを、それが親や学校の先生以外にも身近にいることを知ることは、たとえ子どもじゃなくても、大事なことなのかもしれません。
そしてそんな小畑さんの活動は、京島や遠刈田に留まらず、大石田からもアーティスト・イン・レジデンスで声がかかりました。それが冒頭の動画です。
まさにここでも、京島で実践した夕刻のヴァイオリン弾きが生きました。
「遠刈田の中学校の授業でも話したのが、“こうしなければならない“はないってこと。これで成功するためにはこうしなければいけないとか、家族を持つならこうしなければいけないとか、結婚するならこうしなければいけないとか、っていうのは思ってしまっているだけで、本当はないから。自分たちの方法を見つけられるのがいいし、その方法が多種多様にあるっていうのが、早いうちから見えてたら、そこにつながっていきやすいんじゃないかな思う。まぁ、はたらくって、イコール生きかただと思うから」
きっとどこのまちにも、いろんな働きかたや、生きかたをしてる人がいるのだと思います。でもどうしてもわたしたちは、答えがひとつじゃないとどこかでわかっていても、染み付いた既成概念に縛られてしまいます。そんなときは、まずはサテライトキッチンに行ってみたり、小畑さんの音楽にどこかで触れてみてください。そうしたら、きっと多種多様な生きかたがあることを身近に感じることができるかもしれません。
(おわり)

HERB STAND サテライトキッチン
場所:東京都墨田区京島3丁目48−3
営業時間:12:00~18:30 (通常) 21:00-23:00(不定期)
定休日:火水(臨時休業有)
Instagram:@stllt_herb
*営業日、営業時間については、SNSなどでご確認ください。
小畑 亮吾
Music:https://songwhip.com/小畑亮吾
Twitter:@rygk_goomi
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