
かつて百姓というのは、その名の通り100の仕事、
つまり多様な仕事をもつ人のことをそう呼んでいました。
今では仕事は細分化、合理化され、百姓的な仕事は失われつつあります。
それどころか、インターネットやSNSの普及によって人と人も細分化、
果ては分断化されるようになってしまいました。
でもそんな今も百姓は存在します。
いや、ひょっとすると100の「仕事」を「役割」と言い換えれば、
わたしや、あなたも百姓かもしれません。
サラリーマンの顔ひとつとっても、上司や部下、同僚への顔は、
それぞれ違うでしょう。
家に帰ればサラリーマンの顔を引っ込めて、
パパやママ、あるいは夫や妻、パートナーになるかもしれません。
親しい友人に会えば、若かりし日に戻って、
他では見せない顔を見せるかもしれません。
そう考えると誰もが様々な顔を持っています。
もっともここで紹介するのは「役割」ではなく、
「仕事」の百姓のほう。副業や複業がスタンダード化していくなか、
彼らはいかにして百姓になったのでしょうか。
それを紐解いていきます。
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