写真作家Kiiro 後編 年36回の経験

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「たとえば、おじいちゃんになったとしても、

自分の好きな表現について語り合える人生って、

何かこう素敵だなと思えるんです。」

一億総評論家と言われて久しい。

そんな時代に彼が選んだのは、

評論するのではなく、

自分で表現することだった。

それも写真でも美術でもなく、

それは芸術としか呼びようのない表現で。 

今やその語りは、パリを始め海外にまで足を伸ばしている。

「たぶん年36回のいろいろやった経験があったから、その翌年やった展示に繫がったのかなと」

作品を発表しようと思っても、もちろん最初はコネもツテもなかった。

「お金もないし、なるべく展示料も安い、無料なところを探してて、そのときミクシィをやってたんで、ミクシィのコミュニティとかで展示できるところ探してましたね。」

もちろん今のようにギャラリーに所属しているわけじゃないから、まずは自分の出来る範囲で探し始めた。でもやはりやる人はここからが違う。

「ノルマを月1回にしようかなって思ったんですよ。はじめ。でも月1回だったらこなせるだろうなって、月2回も頑張ればいけるかなと思って、でも月4回だとちょっと難しいなって、出来るか出来ないかくらいのいい挑戦として3回くらいかなと思って、そのノルマを決めていろいろ探してやったって感じですかね。」

「今のディレクターと繫がったのは、36回の次の年なんですけど、だけど、それはたぶん年36回のいろいろやった経験があったから、その翌年やった展示に繫がったのかなと思ってて、たとえばぼくがその経験なかったり、1年前に出逢ったとしたら、たぶん作品が追いついてないから、たぶん声かけられないだろうなって今だと思うんですね。その経験があるから、いろいろ試行錯誤して、作品もじゃあどうやったら人が見てくれるんだろうなっていろいろ考えたし、展示方法もどうやったらいいのかなっていろいろ考えるじゃないですか。展示会していくたびに、で、たくさんやってるから、ここでだめだったら、もっとこうしたいなっていうのが次に活かせるんですよ。そういう挑戦の場を作ったからこそ、次の年にたまたま出逢えたのかなと思うんですよね。」

ノルマという言葉は何だか営業会社みたいで、あまりいいイメージはないけれど、この話を聴くと、何だかノルマというのも設けてみたくなるのはわたしだけだろうか。そしてだからこそ、8年振りに訪れたパリは、20代の頃に行った場所とは違う場所に映ったのではないだろうか。

「展示で行ったんですけど、自分が8年前のことを思い出したら、自分はただ何か表現についていろいろ混沌しながらも自分の中のパリの美しいところを見つけようと思って、何かお腹空かせながら朝から晩までほっつき歩いてたなぁと思ってて、でも今はルーブルの地下のところに展示出来るなんて不思議だなと思いながら、あのときの自分が無意識な中にもそういう状況を思い浮かべていたものの、実際そうなれるとは思ってないじゃないですか。だけどそういう風になれたのも不思議だなと思うし、そのときの自分が今の自分を見たらどう思うかなとか考えてましたね」

「自分の中で凄い閃きで、あ、嫌なことがあっても、全然次に切り返せるんだなと思って、結構かかえこんじゃうタイプだったので、今はそんなことないですけど、やっぱり若いときってそうじゃないですか。どうしたらいいかわかんないっていっぱいあるし。」

まちについて訊くとそんな答えが返って来た。

「まちって言うとなんなんでしょうね、長く住むとトラウマもかかえるし、いいことばっかりじゃないじゃないですか、嫌なことも悲しいことも、いろんなところにかかえるわけじゃないですか、まちって。自分の住んでるところは。だけど、自分の旅先の北海道とか石川県とかどこでもいいんですけど、行くと、周りの人は誰も自分を知らないし、自分がそこを観るのも初めてだし、全てがリセットされるんですよ。それがぼくは最高に愉しかったです。」

だから旅が好きだった。パリに行ったのもそんな理由が少なからずあったのかもしれない。そして今は新しいまちに住んでいる。

「2年近く経つんですけど、そこで暮らしててもまだ全然飽きないし、いろんな発見もあったりしますね。だからまちって発見ですかね。」

その発見からまた新しい作品にわたしたちは出逢えるのかもしれない。

(おわり)

Kiiro

写真作家

1978 年。神奈川県出身。

多様な性質をもつコスモスの叙情的世界をフォトコラージュを駆使し制作。日本を拠点に、フランス、ベルギー、韓国、ニューヨークで展示。2015年には、フランスで開催の写真コンテスト「Wipplay」にて、審査員を勤める。

HP : http://www.iwahada.com

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